昔無理やり覚えさせられた平家物語冒頭。万物変化、生々流転等、いろいろ慣用句ありますよね? ところで、諸行無常の響きをなぜどのようなときに感じるのでしょうか?
先日のエントリーでも少し語りましたが、自分にとって不愉快な情報、いやなことを言われて気分を害するとき、怒りに発展する前に、自分で上手に処理するといいですね。例えば、「この情報により、自分は気分を害していている。」と唱えることから始まる。つまり、自分に都合良くない情報を、真正面に受け止めてしまった場合の対処方法ですね。
しかし、より良い方法としては、都合悪い情報が、最初に耳にしたときから、そう問題にならないで平常心でいられることが求められることです。これもエントリー済みですが、都合の悪い情報は、脳が「苦」であろうと「刺激物」として好んで求めてしまうので、この平常心でいるということは、真っ向から対立するわけです。
例えば、風のざわつき、信号の音、クルマの駆け抜ける音、木々の擦れる音、こういうものには普段それほど意識をかけていません。なぜか?それは、脳にとっては「つまらない」と感じてしまうからです。それよりも、自分の悪口が「面白い」と感じてしまう・・・。
だったら、風のざわつきなど、これまで「つままらない」と思っていたことを、注意して聞くようにしよう。そうして「面白い」と反応する悪い情報を、脳の中から思考排除してしまおう・・・という試みが、新しいとは思いませんか?
実は、これをとことんつきつめると、いろいろ「つまらなかったこと」が「面白く」なってくるのだそうです。
☆風のざわめきなど、些細な動き。森羅万象の諸行の動きにこころを傾け、ひとつとして同じことがない、無常であることに注意を払う。
諸行無常の響きを感じることは、実は、平常心を獲得するトレーニングだったということだというのは僕の発見でした。
座禅は、苦行ではなく、心の幸福の獲得手段なのかもしれません。
仏教の専門家ではないので、ユニークな意見は、ご容赦を・・・。
- 作者: 保坂隆
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2008/09
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (3件) を見る