ラーメン食べて詠います

ご訪問いただきありがとうございます。仕事の合間や、休日余暇を利用してラーメン探訪をつづけております。ラーメン食べて感じる、小さな喜びやストレス解放を、最後に詠って締めくくりますー。

【実録】平成のラーメンムーブメント総括!代表的ラーメン店14選

 もうすっかり「令和」が国民の中で浸透し始めたとは思いませんか?。平成改元された当時の違和感とは随分と違うイメージ。当初、いろいろと元号について懐疑的なコメントも多々ありましたが、文字も発音も、とてもしっくり来ると思うのは私だけでしょうか?。出典も万葉集ってところも、前より馴染みがくるんですよ。令和はいい時代にしたいよね!
 
 そして「ありがとう平成」とも言いたいのです。振り返れば・・・平成はいろんな出来事があり過ぎて、思いも複雑ではないですか?。ガラケー使ってたのも、高性能スマホが生まれたのも平成なんですよね!。もうオンラインが当たり前の世の中に引き上げられたのが平成だったイメージ。オンラインでスマホで遊んだり、オンラインカジノってのもフツーになりつつある。「安カジドットコム」なんてのも最近気になってます。
 
 私個人的には、就職・結婚等人生イベントが駆け抜けたわけだし、社会だっていろんなことがあったっけ。バブルが弾けて経済は長期低落へとむかったり、災害や大事故も多く、リスクに備える意識も広まったような・・・。また人口が減少へと向かい始めたし、いろんな分岐点が平成にはありました。一方、たとえばIR法可決とかオンラインカジノなど、「新しい形の日本再生」も模索始まった分岐点でもあったと思うのですが・・・。
 
 
 
 
 ちょっと冒頭でカッコ付けてしまいましたが、そんな中で実はラーメンヲタクな私。そんなちょっと変わった庶民の発想しつつ、ラーメン的視線で「平成とは何だったのか」と総括してみよう!と思いました。ラーメン好きな方と、あるある!そうだったな!なーんて共感できればとっても幸せ。一気に行ってみようと思います!!
 
 思い起こすと平成のラーメン事情はこれまで経験したことのないほど激変だったのだ!。個人的な話で恐縮ですが、だいたい平成の始まりと共に上京。当時、単なる田舎のラーメン好きだった私は・・・その東京ラーメンの煌びやかで、容赦ないほど流行が駆け抜けてゆくラーメン世界に、正直言うと度肝を抜かれたのでした。ラーメンに関する雑誌記述を頼りに歩きまわったのが懐かしい。そんな中で、平成ラーメンを私なりに総括しようと、過去30年間あまりを振り返って見ました。ピックアップすべき現象としては、以下の通りなんじゃないかと!。
 
 
 おいおい・・・もっと他にあるだろう!例えば「環七ラーメン渋滞」「恵比寿系背脂チャッチャブーム」とかさ!・・・なーんて指摘が多いと思いますが、そこは個人的な体験による偏りと思ってご容赦いただきたい次第!。悪しからず!
 
 

 

 
 

花の96年(平成8年)開業店!盛り上がりを見せたラーメン業界!

 やはり大きなポイントとしては、「平成時代のラーメン勃興」があったこと。そのクリッピングポイントとしては「1996年(平成8年)」。この年に生まれた店は、後々に大きくラーメン界に影響を与えることとなるのでした。いや〜今に繋がる名店が一気にオープンしたのだから、もうこんな年は来ないかもしれません。代表的な店を4つピックアップしてみましょう。
 
 
 「麺屋武蔵」西新宿ラーメン戦争!その覇者!

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 東京の方ならご存知「麺屋武蔵」系。直系引き継ぎ「●●店」と名のる場合と、暖簾分け形式に屋号を変える場合があります。記憶では、その本店が開業した西新宿界隈は、当時ラーメン店が西新宿界隈で一気に開業して、テレビ朝日の情報深夜番組「トゥナイト」でも紹介されたような記憶です。「西新宿ラーメン戦争」と揶揄され、田舎者の私は初めてラーメンを食うために長い行列に加わったっけ。さて当時の印象はと言うと・・・濃厚な秋刀魚節の味わい。鰹以外に節の味を強烈に感じたのを、今でも覚えています。当時は正直「魚強すぎるわ〜・・・」と思ったものの、今はもっともっと強い魚のエキスを!と求めているのだから・・・味覚って変わるものだよ。苦笑いするしかありません。中太麺がとても絡んで、肉が厚い上に脂身とタレの甘さは今でも印象に残ってます。当時と今で、西新宿に残って営業してるのはここだけですから・・・結果として「覇者」って感じでしょうか。
 
 
「中華そば 青葉」ダブルスープの製法確立!

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 今ではカップ麺ですら、先入れ後入れとスープを分けて投入する時代。いわゆるダブルスープとして食う直前で合わせる手法ですが、これを全国区にしたのは間違いもなく「中華そば 青葉」でしょう!。豚骨と魚介の合わせ技は、今では主流ですがそうなったのもこちらの功績が大きいかと思えばすごいよね。今ではややチェーン展開してますが、2013年(平成25年)に、テレビ朝日が主催した第1回ラーメン総選挙ラーメン部門で1位を獲得したほど、レベルの高さはキープと言った感じ。日頃、中央線を通勤手段として使う私としては、中野駅で停車すると時折、心を揺さぶられる思いなのです。あの味は、なぜだかクセにさせるんだよな・・・。
 
 
「多賀野」外せない正統派スタイル!

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 ラーメン界にも女性進出が目覚しいけど、多賀野と聞いてあのお母さんが思い浮かぶラーメンファンも多いはず。店主は別にいるんだけど。ここも人気トップクラスのまま、今でも突っ走ってる店だけど、肩に力が入ってないような気軽さと崇高さの共存が心地よい店です。「粟国の塩」を使っている店は本当に多いけど、この店がキッカケにじゃないのと・・・ちょっと本気で思ってる。具材を分けて提供してくれるスタイルも、素材へのオマージュと味のこだわりを同時に感じていいね。きっちりと基本ラインを守った上で、調味に妥協を許さない。まさしく「外せない正統派スタイル」だから、時代や年号が変わったところで、人はそれを求めてしまいます。
 
 
「くじら軒」ラーメン発見伝の表紙にもなったよ!

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 ラヲタにも、多少はバイブルがあって、その一つが漫画の「ラーメン発見伝」。その単行本の包装表紙はこの店を挙げています。私は上京して・・・随分と後になってやっと訪問を果たしました。今では忘れられた店??イヤイヤ今でもコアな時間帯は並ぶよ!当然旨いしね。店周囲が再開発されすぎて違和感ある中で、コアなファンは通ってますよ!平成の一時代にラーメンインパクトを与えた功績を、私は忘れません。
 

 

 

平成生まれの味!一大旋風!!「濃厚豚骨魚介」ブーム到来!!!

 さあ、個人的にはこのあたりから、ラヲタとしての活動が活発化してきます。平成になって新しい味が生まれたとしたら、私は「豚骨魚介」を挙げたいです。詳細に調べたら昭和にもあったよと言われても仕方ないけど・・・、平成になってからの一気な盛り上がりは明らかすぎる事実です。・・・思い入れが深すぎる中で、ブレークスルーのキッカケとなった2店舗を、私はピックアップしたいと思います。
 
 
「六厘舎」豚骨魚介つけ麺の火付け役!

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 東京駅に行けば東京ラーメンストリートという食堂街があって、朝でも昼でも夜であっても、いつでも驚異的な客入りを果たしています。東京の玄関口ですから、出張や観光で必ず利用する東京駅。いまやその中でも有名なランドマークになりつつあります。すでに外国人観光客も、手早く本物の日式ラーメンが食せるとあって、行列に並ぶ姿もみかけます。もはや東京ラーメンストリートもインターナショナル!。
 
 
 その中で一番の人気店とくれば・・・やはり「六厘舎」でしょう。東京出張のついでに食うサラリーマンが多いのが目立つ店ですね。「豚骨魚介」を「つけ麺」で食う斬新さを一般に最初に知らしめたのは、やっぱり「六厘舎」。当時は、品川区大崎の住宅街にあって、大行列が問題化したニュースを今でも思い出します。まさしく「豚魚つけ麺」ブームの火付け役。ご店主は今でもカリスマ的でしょうが、これは平成の一杯として欠かせない存在感です。後にあまりにも同じようなの味をだす店が、都内に続々コピーのように現れて「またおま系(またお前か!)」と揶揄されるほどでしたね。
 
「中華蕎麦 とみ田」成功伝説は映画にもなっよ!

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 平成のラーメンスーパースターと言えばここ!。六厘舎もそうなのだが・・・・個人的にはこのお店!。富田治氏が今でも厨房に立つ「中華蕎麦 とみ田」です。もう、ラーメンファンなら知らない人はいないこのお店と、カリスマ性。開業間なしの頃、友人に引っ張られてやってきたのがこの店で、その後のシンデレラストーリーが忘れられません。その当時から今より過激な濃厚豚魚でしたから、衝撃度計り知れんです!。今ではお弟子さんも増えて、暖簾分けも広がりつつ、勢いの陰りが見えないのがすごいですよね。そして、近年・・・その成り上がりぶりが映画にもなったのが記憶に新しいところ。「ラーメン屋はかっこいい!」と若い方を導いているとさえ思えます。
 
 

 

 
 

多様性の開花!新たな分野の確立も進む!?

 ラーメンが、それまで昭和では町中華的に単なる大衆的なファストフードだった枠を超えた。その個性を表現する手段となったのが、平成では見られました。そこに、既成概念はありません。実に個性的なラーメンが生まれたのが平成。ここでは、今の人気度合いを無視して、今に与えた影響度を鑑みた3点をピックアップします。
 
 
 
「すごい煮干しラーメン 凪」煮干の苦さを広めた功績!

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 煮干の苦さを全面にアピール!西日本の感覚ではありえない苦さ。しかし東北先端エリアでは、苦々しいニボニボ感がラーメンの当たり前だったりします。そんな苦味を受け入れるのがラーメンの素晴らしさ。「ニボニボ」という個性を徹底的に追求したのが「凪」さんです。今では凪系列として、ラーメン好きならその軍団的存在感を知らぬ人はいないはず。創業期は細々と・・・・新宿ゴールデン街のボロボロ屋舎の2階でスタートしてたっけ(ボロは余計か、失礼)。あの頃とは、仲間も知名度も格段に集めています。苦いけど旨い!と思わせる情熱が素晴らしき哉。
 
 
「中村屋」神奈川淡麗系の伝道者!そして天空落としの生みの親!

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 京浜東北線を横浜方面へ行くと・・・川崎超えた頃から、こういう系統が一気に増えてくると思えます。そう「神奈川淡麗系」。清湯の煮出しで、鶏油に彩られた香味で食わせるタイプです。現時点で新店舗をオープンすると、このタイプが多いことに気がつきませんか?。この味の広がりは、それだけ人気の裏付けがある味だということで・・・今後も大いに期待です。そしてもう一つ。麺の湯切りでポーズを示すのも、この店がハシリでしょうか。麺の湯切りでテボを叩きつけるようなアクション・・・「天空落とし」はこの店が起源です。何気に色々とこの店から伝播したスタイルが、今でもあちこちで見られます。

 

 
 
 
「蒙古タンメン 中本」街で見かける店主の看板!旨辛分野を確立!

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 ハーレーに乗ったラーメン店主の看板・・・見たことありませんか?。今やジロリアン(ラーメン二郎のコアなファン)に匹敵するほどの、「中本信者」を形成しているのが、このブランドです。実は・・・このブランドで私は、芸能人と遭遇する比率が高い。ネットで少し検索すれば一目瞭然。私は、アメトーークで見かける芸人さんと隣り合わせで2回並んで食いました(笑)。そして、旨辛系として、新しいジャンルを確立する勢いすら感じるこの頃。「蒙古タンメン」はラーメン好きなら、絶対一度は食うべきアイテムであり、野菜の甘さがこれほど頼もしいと思うことはありません。令和において、更に発展が期待できるブランドかもしれませんし、平成において旨辛分野を確立した功績は大きいです!。
 

 

 

「二郎」と「大勝軒」の暖簾分け&インスパイアが一気に拡大!

 
「ラーメン二郎 三田本店」平成移転!もはや女子客も珍しくない!

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 いわゆる「二郎系」の総本山。ジロリアンという言葉も平成で一気に広まって定着化され、今ではラーメン女子と呼ばれる人達をも、惹きつけ始めています。初めて「ニンニク入れますか?」と呼ばれる瞬間がとても緊張したのを覚えているし、「ニンニクヤサイアブラ」「マシマシ」など呪文を覚えるのも非常に抵抗感あったに、いつの間にか、気楽に思える。これぞ大食いの殿堂というやつでして、訪問する日は必ず体調を整えて、空腹感MAXにしてから行かねばなりません。この二郎スタイルが、ビジネスモデルのように、都内あちこちで一気に広まり、今では「二郎インスパイア」なる系統がどんどん増えていったのでした。そして更に、直系の暖簾分けがどんどん増え、北はとうとう津軽海峡を超え札幌へ、そして西は京都にまで広まりを見せています。平成は二郎のブランド価値が高まり、市場認知が一気に進んだ時期となりました。
 
「東池袋大勝軒 本店」平成移転!山岸御大はもはやアイコン的存在!

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 以前の東池袋本店の閉店はニュースにもなりました。大勝軒の起源は諸説あるようですが、日露戦争勝利時に「大勝」ということで当時は一般的な屋号だったようですね。さて、「黒いトレーナー」「太いタオルはちまき」って、ラーメン屋さんイメージにありませんか?。それは、この東池袋大勝軒店主の、山岸一雄さんのスタイルから来ていると思えてなりません。「つけ麺の父」と呼ばれた御大。賄い飯から一般メニューに格上げされ、今やラーメン界で一分野として確立。その顧客を思うホスピタリティは「心の味」と表現され、お腹いっぱいになってもらいたいと言う精神は、現代の大盛り美学に通じるところがあります。この方に影響を受けた店主は日本中にどれだけいるのか分からないほど、影響力は計り知れぬ・・・。平成になっても、暖簾分けとインスパイア化がとても多いスタイルは、令和になっても衰え見せません。
 
 
「永福町大勝軒」昭和の味は忠実に平成に受け継がれそして令和へと!

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 私が上京するまで、「大勝軒」は東池袋系一色のイメージだったっけ。ところが「永福町系」と言う全く別のスタイルがあるのを知った時、驚きました。麺は2玉が標準で、サラサラな煮干スープで、柔らかい麺を絡めて腹一杯になるスタイルは、まさに昭和感覚。それをレトロと感じようとも、平成になっても勢いは止まらないのです。平成になっても、じわじわと暖簾分けと、インスパイア店が広まりつつあります。決して派手ではないけれど、コアなファンが多いことと、この系統は、レベルが全体的に高いと個人的には思えてしまう。生玉子を溶かしてつけ麺風に食らう汁麺って・・・・この系統以外には見かけませんね。
 

 

 

そして遂に世界も認める「ラーメン」となった!ミシュラン獲得!


「Japanese Soba Noodles 蔦」ラーメン初のミシュラン金字塔!

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 平成のラーメンを総括すると、「広がり」「認知度」の二つだと思えます。それを最高峰にまで高めたのが「ミシュラン獲得」。世界のグルメに認められた瞬間であり、中華料理のカテゴリーから正真正銘に独立した瞬間だったと思えます。その第一号はこの店だった!。
 
 
 ラーメンには顔があります。そしてその顔はキャンバスでもあります。飾り立てる演出・・・・そしてそれだけじゃない旨味の崇高さ。「盛付」「素材」「調和」「メッセージ」その他色々・・・「寿司」にも負けないソウルフル!なのです。個人的にオススメは「味噌」。醤油や塩は芸術的な想像が付きやすいけど、素朴さを包含する味噌がハイセンスで素晴らしい!。平成になって、日本中のラーメン店主は、このニュースに随分と勇気付けられたのではないでしょうか!。
 
 
「創作麺工房 鳴龍」日式担々麵の行きつくところ!

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 同じく・・・ミシュラン獲得店。この2店舗の共通点は、開店して日が浅いと言うこと。本家フランス料理も、新進気鋭な店が星を獲得するのは珍しくないです。しかし歴史が浅くとも、フランス料理同等な扱い方で、ラーメンの気鋭が選ばれたのですから、これは誇りです。「鳴龍」と言えば、やはり私は「坦々麺」。本場中国四川の方からは全く別物と評価されましょうが、本場と区別して「日式」と言う表現も行き渡ったこの頃。かつて陳健民が考案したそれは・・・確実に一分野として昇華しましたよ・・・。蔦も鳴龍も、今や外国人も押し寄せるかでして、今後も地道な精励に期待したいところです。
 
 

 

 
 

結論「平成は、ラーメンの多様化をきっかけとして一気に進化し、世界に通用し認められた時代」

 
 令和を迎え、翌年は東京オリンピックを迎えます。多くの外国人が日本をおとづれ、そしてもっと食文化に関わる時代がやってくる。その前に、ラーメンが広くグローバルに認知されたことは、平成ラーメンの功績と思えてなりません。世界がこれからもっとオープンになってゆくのと同じに、ラーメンもオープンになってゆく。既成概念取り払われ、もっとぶっ飛んだラーメンが出てくるかもよ!。そして地球の裏側で「ニンニクマシマシ」なんて言葉が、語られる世の中に本当になっているかもしれない!。平成はラーメン的には面白かったが、令和はもっとすごいことになりそう!。さあ!ラーメン好きなあなた・・・更にこれからウカウカしてられませんよ。楽しみはこれからも尽きません!。気合い入れて行きましょう!
NO RAMEN!NO LIFE!