

荻窪南口を抜けた先、赤星二本と琥珀の一杯にほどける午後

休日の昼下がり、荻窪南口の空気は、商店街のアーチをくぐった瞬間から静かな祝祭へ変わっていきます。荻窪駅南口仲通り商店街を抜けて、少しだけ街の熱がほどけたあたり。人の流れはまだ絶えないのに、不思議と歩幅だけはゆるくなって、胸の内にも余白が生まれてまいります。そんなところに、青緑の看板と暖簾、そして店先に積まれた赤星のケースが見えてくるのです。ああ、今日はここへ来るための午後だったのだと、店先に立っただけで腑に落ちます。

らーめん高尾は、荻窪駅南口仲通り商店街を抜けて歩いて五分ほどの場所にあり、この“少し歩いて辿り着く感じ”がまた実にいいのです。駅前の賑わいをひと口ぶんだけ遠ざけた先にあるからこそ、これから始まる一杯と二本の赤星に、ささやかな旅情まで宿ってくるのでしょう。暖簾の向こうに吸い込まれるその瞬間には、すでに食欲だけでなく、休日の心まできちんと整っていたのでした。

<サッポロ赤星> 赤い星を掲げた中瓶!この日の午後を“ただの昼”から“ちゃんとした休日”へ格上げ!



まずはサッポロ赤星を。木目のカウンターに据えられた大瓶を前にすると、こちらの気分までしゃんといたします。王冠を抜いた瞬間の、あの静かな高揚感がたまりません。グラスへ注げば、淡い金色の液体がすっと立ち上がり、泡は無闇に騒がず、けれど頼もしく盛り上がります。






ひと口目は苦みが先に来るのに、そのあとを追いかけるように麦の丸みがふわりとほどけて、喉の奥で実に穏やかに着地します。派手な華やかさではありません。むしろ、長く愛されてきたものだけが持つ無骨な落ち着きです。だからこの店の空気に、これほどよく似合うのでしょう。






しかも赤星ことサッポロラガービールは、明治十年発売の現存する日本最古のビールブランドで、熱処理ならではの厚みある味わいが特徴とされています。古びないどころか、こういうラーメン屋の午後に置かれると、むしろ今いちばん洒落て見えるのです。一本目で心をほどき、二本目で幸福を確信する。そんな理想的な昼酒の幕開けでした。





<メンマ皿> 派手ではない短冊メンマは、控えめであることの強さを知っている、渋い助演男優!

赤星に寄り添う最初の一皿がメンマ皿というのは、なんともいえず渋い選択です。これがまた実に、この店らしいのです。昨今の“どうだ”と胸を張る極太メンマではなく、親しみのある短冊形。見た目はおとなしいのに、箸でつまむとふわりとしたやわらかさの中に、しっかりした繊維の歯ざわりが残っていて、口の中で実に心地よくほどけてゆきます。


味つけも過度に濃くありません。けれど薄いわけでもない。竹の子らしい香りと発酵由来のやわらかな旨みがじんわり広がり、その余韻を赤星がすっと受け止めてくれるのです。こういうアテは、酒を急かさないのに、気がつけば杯の進みを早めてしまうから困ります。休日の昼下がりに必要なのは刺激ではなく、こうした“じわじわ来るうまさ”なのだと、メンマ皿ひとつで教えられる思いでした。


<まかないチャーシュー皿> 端肉の荒々しさ!整った一枚肉にはない生活感の旨さを連れてゆく!

続くまかないチャーシュー皿は、一転して少々あぶない存在です。名前からして、もう旨いに決まっております。整った薄切りを美しく並べた正装の一皿ではなく、端肉や崩れたところを集めた、いわば厨房の本音がそのまま皿になったような風情です。けれど、こういうものほど旨いのが世の常であります。箸でつまみ上げれば、肉の表面にはしっかりとタレの色が染み、かすかな照りが見えます。


ひと噛みすれば、脂の甘さと赤身の力強さが一度にほどけ、そこへ醤油ダレの香ばしさが重なって、たちまち二本目の赤星を危険水域へ追い込みます。上品ではないのです。ですが、その“ちょっとラフで、ちょっと乱暴で、でも抗えない”感じがたまりません。


昼酒とは、本来こういう少し悪い顔の皿がいてこそ完成するものです。しかもそれが、酒場めきすぎず、ラーメン屋らしい温かさを保ったまま差し出されるのですから、たまりません。この皿があるだけで、荻窪の午後は一段と愛おしいものになります。
<全体> 飾り気を削り切った先でしか生まれない美しい均衡を湛える!?


そして、いよいよ主役の着丼です。目の前に置かれたその瞬間、思わず背筋が伸びました。丼のなかには、透き通った琥珀色の清湯が静かに満ち、表面には細かな油の粒がちらちらと光っています。その中央にはもやしの白い山がすっと立ち、その脇を深い緑の青菜が支え、てっぺんには桃色の渦巻きを抱いたナルトがちょこんと鎮座しております。なんとも愛らしい。さらに視線を落とせば、青菜の陰、もやしの脇、湯面の奥に、メンマとチャーシューがさりげなく待ち構えております。

盛り込み過ぎていないのです。なのに寂しくない。むしろ、余計なことをしないからこそ、一つ一つの意味がくっきり立ち上がって見えるのです。おしながきには「らーめん五百円」の文字がありますが、この整い方を見ると、値段より先に“姿勢”に打たれます。安いから嬉しいのではなく、嬉しい一杯がこの値段で差し出されている。その順序の正しさに、しみじみ感服いたしました。

<出汁> 琥珀の清湯は、優しさだけで終わらず、静かな芯で何度もレンゲを呼び戻す!

まずはレンゲを沈めて、出汁をひと口。ああ、これはしみじみ来るやつです。最初の印象はやさしい醤油。けれど、その奥には野菜の丸い甘み、昆布や乾物めいた静かな旨み、そして豚のふくよかな下支えが折り重なっていて、見た目以上に奥行きがあります。派手な一撃で惚れさせる種類ではありません。むしろ、気づけばもう一口、もう一口と飲み進めてしまう、気配の深い出汁です。さらに後口には、かすかに生姜を思わせる清涼な輪郭があり、ただ懐かしいだけで終わらせません。


古風でありながら、ぼんやりしない。穏やかなのに、きちんと芯がある。休日の身体に染み込みながら、赤星と小皿でゆるんだ感覚を、最後にはこの出汁が静かに引き締めてくれるのです。こういうスープに出会うと、ラーメンはご馳走である前に、生活を整える食べ物なのだと改めて思わされます。


<麺> 茶褐色の麺は、啜る快感と噛みしめる喜びを同時に思い出させる実直な相棒!

この一杯をさらに特別なものにしているのが、やはり麺であります。見た目からして、もう実にいい。少し茶褐色を帯びた細めの麺は、つるつるぴかぴかの優等生というより、粉の表情をちゃんと残した働き者の顔をしております。箸で持ち上げると、しなやかに揺れながらも、妙に頼りなくはありません。

啜ればスープをきちんと連れてくるのに、飲まれきらず、麺自身の輪郭を保っております。そして、ここが大事なのですが、この麺は“啜る”だけでなく“噛む”と旨いのです。奥歯でそっと受け止めた瞬間に、小麦の香りと出汁の染みが一緒になってほどけていきます。派手なもっちりでもなく、過剰な弾力でもない。ただただ誠実です。こういう麺を食べていると、ラーメンの幸福とは、口の中で大騒ぎすることではなく、じわりと納得させてくることなのだと実感いたします。実に噛むほどに滋味が増す麺でした。

<もやし> もやしは山のように盛られながら重さではなく軽さで丼全体を整える見事な調停役!

今回の一杯でとりわけ印象的だったのが、中央にすっくと盛られたもやしです。これが単なる量増しの飾りではありません。白く細い姿で丼の中央に山をつくりながら、スープを濁らせるような野暮ったさがなく、むしろ全体に軽やかな立体感を与えています。箸を差し入れて持ち上げると、しんなりし過ぎず、かといって生々しくもなく、ほどよく熱が通った絶妙な加減です。

噛めば、しゃきりとした歯ざわりののちに、ほのかな甘みと水気がじゅわりと開いて、醤油の清湯へ自然に溶け込んでゆきます。もしこの一杯にもやしがなければ、もっと端正で、もっと古典的な顔つきになっていたことでしょう。けれど、そこへこの白い山が加わることで、どこか生活感が生まれ、休日の昼に食べる一杯としての親しみがぐっと増しているのです。見た目の高さ、食感の軽さ、甘みの橋渡し。そのすべてを一手に担う、実に優秀な存在でした。

<青菜> 深い緑の青菜は、琥珀の湖に差し込む一筋の季節であり、どんぶりに静かな品格を与える!

そして青菜です。白とも茶とも違う、あの深い緑が入るだけで、丼の風景は一気に締まります。湯面に半ば沈み、半ば顔を出した葉の艶やかさは、いかにも“熱いスープをよく知っています”という落ち着きがありました。ひと口いただけば、葉の部分はしっとりやわらかく、茎に近いところにはまだ少し張りが残っていて、その違いもまた楽しいのです。

青くささはなく、むしろ噛みしめるほどに、清湯のなかで輪郭を増した甘みがじんわり広がってまいります。もやしがこの丼に軽やかな高さを与える存在だとするなら、青菜は深みと品の担当でしょう。丼の左手に寄り添いながら、出汁の琥珀にも、ナルトの桃色にも、驚くほどよく似合っております。ラーメンにおける青菜は、ともすると脇役に見られがちですが、この一杯では確かに景色の格を上げておりました。

<なると・チャーシュー・メンマ> 小さな具材たちは声高ではないのにそれぞれが一杯の記憶を確かなものにしていく!


まずナルトがいいのです。白地に桃色の渦巻きという、それだけで少し懐かしい意匠が、もやしの頂にちょこんと乗る。その姿だけで、こちらの気持ちはやわらぎます。


しかもその下には、控えめに顔をのぞかせるチャーシュー。厚切りで誇示するタイプではなく、あくまで一杯の調和を崩さぬ分量で、しっとりと身を置いております。赤身と脂身の境目はきつ過ぎず、スープをまとったところを噛めば、豚の旨みがじんわりほどけて、なるほどこの丼の世界観を壊さぬ名脇役だと頷かされます。


そしてメンマ。別皿で楽しんだあとに、丼のなかで出汁を吸ったそれをいただくと、今度はより一層やさしい顔になるのです。小皿では酒を進ませ、丼のなかでは全体を整える。まことに頼もしい存在です。結局、この一杯の魅力は“何かひとつが飛び抜けている”のではなく、こうした小さな具材たちがそれぞれの音量を守りながら、見事な合奏をしている点にあるのでしょう。


総じまして...「安らぎと誠実さがそのまま丼になったような休日昼下がりの理想形!」

荻窪の午後に赤星二本。そこへメンマ皿、まかないチャーシュー皿、そして青菜ともやしを従えたらーめん。並べてしまえばなかなかの布陣なのに、食後に残るのは満腹の重たさよりも、むしろ心の軽さであります。小皿で気分をほぐし、出汁で身体を整え、麺でしっかり着地する。この流れがあまりにも美しく、しかもどこにも無理がありません。昭和の記憶を呼び起こすような懐かしさがありながら、決して昔話だけで終わらない。今の気分、今の身体、今の休日に、ぴたりと寄り添ってくれる一杯です。だからこそ、また来たくなるのでしょう。お腹だけでなく、日々のざわめきまで静かに片付けてくれるラーメン。そういう一杯は、案外少ないものです。

今回の印象を振り返ると、「穏やかな清湯」「茶褐色の麺」「小皿がつくる昼酒の幸福」と、今回の写真から受けた実感がきれいに重なっておりました。駅南口の先で赤星から始まり、アテで頬をゆるめ、最後は琥珀の出汁で静かに締まる――この店には、ラーメン屋であると同時に、休日の気分を上手に調律してくれる力があるのです。安いからありがたい、ではありません。ありがたいほど旨くて、しかも誠実だから、結果として強く記憶に残るのです。激しくオススメ!旨し!なので・・・とっとと詠って、いつものように締めたいと思います!。

お粗末!と言うことで家族にも感謝しながら合掌!!今日も本当にごちそうさまでした!










