ラーメン食べて詠います

ご訪問いただきありがとうございます。仕事の合間や、休日余暇を利用してラーメン探訪をつづけております。ラーメン食べて感じる、小さな喜びやストレス解放を、最後に詠って締めくくりますー。

【今週のラーメン5910】麺屋 さくら井(東京・武蔵野市西久保)昆布水つけ麺 塩 + 比内地鶏の砂肝炭火焼き + サッポロ赤星 〜塩の黄金!昆布水の艶!整い切った麺線!静かで優雅なのに情報量はむしろ多い麺顔!

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季節外れの雪が去った西久保に有給休暇の解放感と静かな食欲がほどよく溶け合う

 
 朝から降った雪がようやく止み、空はまだ完全には機嫌を直していないのに、街のほうは少しずつ平常へ戻ろうとしていました。武蔵野市西久保の路面には、冬の名残と春の前触れとが同居するような、曖昧で美しい湿り気が漂っています。こういう日の有給休暇というのは、実に良いものです。世間が働いている時間に、こちらだけが「さて、何を食べてやろうか」と考えられる。この背徳感にも似た自由こそ、大人の昼飯の醍醐味だと思うのです。
 

 
 しかも本日は、ただの昼飯ではありません。溜まりに溜まった有給休暇の一部を、昆布水つけ麺へと両替する日です。向かう先は「麺屋 さくら井」。西久保の街角に、あくまで静かに、それでいて確かな引力をもって佇む名店です。外観は過剰に語らず、むしろ「分かる人には分かる」という顔つきなのに、そこへ向かう足取りのほうが勝手に饒舌になります。雪上がりの空気で頬は少し冷たいのに、胃袋だけはやけに前のめり。こうして私は、昼食という名の小さな遠征に出たのでした。
 

 
 
 

<サッポロ赤星> 雪上がりの昼に赤星を差し込めば身体も気持ちも食う態勢へと整ってゆく!

 
 席に落ち着いて、まずはサッポロ赤星です。いやはや、休日でもないのに昼間から瓶ビールを迎え撃てる有給休暇、まことに素晴らしい制度ではありませんか。誰が何と言おうと、今日は社会制度への感謝を、赤い星のラベルに向けて静かに捧げたい気分です。
 

 
 瓶を傾けてグラスへ注げば、泡は変に暴れず、むしろ落ち着いた立ち上がりを見せます。その様子がもう、さくら井の一杯にどこか似ているのです。派手に騒がず、きちんと整って、しかし芯は強い。ひと口含めば、ラガーらしい苦みの輪郭がありながら、麦のふくよかさが後ろから支えてくる。雪上がりのひんやりした昼に、この骨太さはたまりません。冷えた身体を温める、というよりは、冷えた感覚をいったん正しい位置へ戻してくれる感じです。
 

 
 ラーメン前のビールは、単なる前座ではありません。舌の目盛りを合わせる儀式です。今日のように塩つけ麺という繊細かつ構築的な一杯に臨むなら、なおさらその意味は大きい。赤星で余計な雑味を洗い流し、「さあ、受け止めますよ」と自分の感覚を整える。そういう礼儀を、私はラーメンに対して払いたいのです。少し大袈裟に聞こえるでしょうか。しかし旨い店へ行くと、人間はすぐに宗教的になるものです。
 

 
 
 

<比内地鶏の砂肝炭火焼き> 砂肝の常識を軽やかに裏切るサクサク歯応え感!鮮度と炭火の説得力が凄まじい逸品!

 
 そして本日のおつまみ、比内地鶏の砂肝炭火焼き。これが実に素晴らしい。砂肝と聞くと、我々の頭にはどうしても「コリコリ」「噛みごたえ」「酒場の名脇役」といった連想が浮かびます。もちろんそれは間違っていないのですが、この皿はその既成概念を軽やかに飛び越えてきます。
 

 
 まず、一粒一粒が大ぶりです。にもかかわらず、前歯をそっと入れた瞬間に、ザクッ、ザクッと気持ちよくほどけていく。この時点で、ただ者ではありません。固いのではなく、締まっている。重いのではなく、密度がある。そんな歯応えです。一般的な砂肝が「弾力で押す」とすれば、こちらは「鮮度で切らせる」。その違いが明確に伝わります。生の状態をしっかり保ち、冷凍に逃げなかった素材だからこそ出せる、小気味よさなのでしょう。
 

 
 さらに、奥歯で噛みしめた時のエキス感が見事です。砂肝特有の滋味が、じゅわっと、しかし下品にならない温度で広がっていく。そこへ炭火の香りがふわりと重なり、葱油のほのかな艶と塩の輪郭が全体を整える。これはもう、単なる内臓系つまみの枠に収まりません。鮮度、火入れ、香り、塩加減、その全部が噛むたびに順番を守って現れてきます。赤星をひと口、砂肝をひと切れ。その往復があまりに完成されていて、「今日のつけ麺の印象が最後に残るだろうか?」と少しだけ不安になるほどでした。
 

 
 
 

<全体> 塩の黄金!昆布水の艶!整い切った麺線!静かで優雅なのに情報量はむしろ多い麺顔!

 
 やがて配膳された一式を目の前にした瞬間、まず感じたのは「優雅」という言葉でした。派手さはありません。盛り盛りの具材で押し切る豪快さとも違う。しかし、丼と皿の上には、職人が「ここまでで十分」と判断した美が、過不足なく置かれています。だからこちらは、黙って見入るしかありません。
 

 
 つけ汁は黄金色に澄み、表層には香味と出汁の気配が静かに揺れています。青菜の緑が鮮やかで、葱や香辛の粒もまた、単なる装飾ではなく味の予告編として機能しているようです。一方で麺皿は、濃厚な昆布水に浸されたストレート細麺が、実に端正な麺線を描いています。きゅっと引き締まりながらも、表面にはぬらりではなく“つやり”とした艶。ここが大事です。昆布水つけ麺というと、ともすれば粘度や演出が先走ることがありますが、この一皿はあくまで気品が先に立つ。
 

 
 添えられた柑橘、海苔、そしてチャーシューの色合いも良いのです。赤、緑、黒、淡い肉色。そのどれもが声を張り上げないのに、皿全体としては不思議な迫力を放っています。ラーメンというより、もはや“静物画のくせにやたら旨そうな作品”です。こちらも思わず背筋を伸ばし、箸を持つ前に一度だけ深呼吸をしたくなりました。
 

 
 
 

<つけ汁> 和山椒の刺激と比内地鶏の芳醇さ!その奥で乾物が支えるカオスなのに上品な塩世界!

 
 まずはつけ汁をひと口。これが実に面白い。塩清湯と聞くと、澄んでいて、軽やかで、端正で――といった優等生的なイメージが先に立ちます。しかし、このつけ汁は優等生で終わりません。最初の口当たりはきれいで、塩ダレの輪郭も実に上品。それなのに、その奥から比内地鶏の芳醇な旨みがしっかり押し返してきます。しかも、ただ鶏だけで組み立てた単線的な旨さではない。乾物系の旨みが下支えしているせいか、味が一方向に流れず、口の中で複数の線が交差してゆくのです。
 

 
 そして和山椒です。この和山椒の使い方がまた巧い。辛い、痺れる、という露骨な押し出しではなく、ふっと鼻に抜けて全体の輪郭を引き締める。ちょうど良いところで視界をシャープにしてくれる、名脇役のような働きです。地鶏の旨さを膨らませ、乾物の滋味をくっきりさせ、塩の世界が単調に流れていくのを食い止める。つまり、これは刺激ではなく構造です。
 

 
 続いて何より、このつけ汁は“後半が育つ”のが良い。麺をくぐらせるたびに、麺にまとった昆布水が少しずつ加わっていく。すると、最初は凛としていた塩世界が、徐々にふくらみを持ちはじめるのです。輪郭は保ったまま、懐だけが深くなる。食べ進めるほどに旨くなるつけ汁とは、こういうものかもしれません。序盤で心を掴み、後半で心を離さない。実に見事な設計です。
 

 
 
 

<麺&昆布水> 冷たく締めた細麺の芯と甘み!濃ゆい昆布水の滋味が後半になるほど支配力を増す!

 
 さて、この一杯の主役は誰かと問われれば、私は迷わず麺と答えます。三河屋製麺特注と思しきストレート細麺は、見た目からして実に美しい。中加水らしいしなやかさを備えつつ、冷水でしっかり締められているため、一本一本に緊張感があります。啜ればするりと滑り、噛めばむちりとした芯が返ってくる。この“やわいのに弱くない”感じがたまりません。
 

 
 しかも、麺そのものの風味と甘みがきちんと感じられます。昆布水つけ麺では、ときに昆布の旨味が前へ出過ぎて、麺が単なる運び屋になってしまうことがあります。けれどこちらは違う。昆布水は濃いめで、麺の表層や隙間にしっかり絡みつくのに、麺の素地を消しません。小麦の甘い香りが、昆布のとろりとした旨味と手をつないで現れてくる。つまり、どちらかが勝つのではなく、両者が役割分担しているのです。
 

 
 そして食べ進めるうちに、昆布水の存在感がぐっと増してきます。麺をつけ汁へ運ぶたび、残った昆布水の密度が意識され、フコイダンの滋味めいたニュアンスがじわじわと幅を利かせてくる。この“尻上がりの旨さ”が実に秀逸です。序盤は麺の美しさに惚れ、中盤はつけ汁との交錯に酔い、終盤は昆布の滋味に包囲される。一本の麺が、食事の時間軸そのものを物語にしている。これぞ、つけ麺の醍醐味です。
 

 

 
 
 

<チャーシュー> もろみ麹を深く浸透させた豚肩ロース!静かなのに印象が深いまさに知性派の肉!

 
 チャーシューは、豚肩ロースの低温調理。しかも、もろみ麹漬けです。見た目はあくまで端正で、過剰な肉感アピールはありません。しかし、食べるとその印象がじわじわと大きくなるタイプです。これがまた、さくら井らしい。
 

 
 歯を入れれば、低温調理ならではのしっとりした質感がまず伝わります。やわらかいけれど、頼りないわけではない。肩ロースらしい肉の密度をきちんと残しつつ、舌当たりはあくまで滑らかです。さらに、もろみ麹の作用でしょうか、塩気や旨みの入り方が実に落ち着いています。派手に甘いとか、発酵香で押すとか、そういう分かりやすさではありません。肉の輪郭を崩さず、旨さだけを一段底上げしている。
 

 
 このチャーシューが良いのは、麺やつけ汁の世界観を壊さないことです。肉が主役を奪いに来ない。むしろ、塩つけ麺という全体の流れの中で、自分の立ち位置をよく分かっているような佇まいです。最近、やたら主張の強いチャーシューに出会うこともありますが、こういう“引いてなお印象に残る肉”には、やはり店の格が出ます。静かなのに深い。まさに知性派の一枚でした。
 

 

 
 

<青菜> 鮮やかな緑とほろ苦さが黄金のつけ汁に季節の輪郭を与える名脇役!

 
 青菜は小松菜系でしょうか。これがまた良い仕事をしています。つけ麺という料理は、どうしても麺とつけ汁の二項対立で語られがちですが、こういう青菜があると世界が立体になります。緑の差し色として美しいだけでなく、食感と風味の切り替え役としても優秀です。
 

 
 噛めば、しゃくりとした歯触りのあとに、青菜らしいほろ苦さと清々しさが立ちます。これが、比内地鶏や乾物の豊かな旨味に満ちたつけ汁の中で、実に効くのです。旨いもの同士が重なり合うと、時に口の中が豊かすぎて飽和することがあります。そこへ青菜が入ると、景色が一度リセットされる。言うなれば、味覚の窓が開くのです。雪上がりの曇った空の下を歩いてきた身としては、この緑が妙に嬉しくもありました。冬の余韻の中に、ちゃんと春の気配も混ざっている。その季節の境目のような感覚が、この青菜にはありました。脇役でありながら、ちゃんと今日の天気まで回収してくる。いやはや、侮れません。
 
 
 

<昆布水割り> 最後は残った昆布水がつけ汁を抱き込む!和の滋味で静かに大団円へ導く!

 
 終盤のお楽しみは、やはり昆布水割りです。これをやらずして昆布水つけ麺を締めたとは言えません。麺を食べ終えたあとに残る昆布水は、見た目以上に意味深い。すでに麺の香りや小麦の余韻をたっぷり抱え込み、単なる“残り液”ではなく、食後のクライマックスを担う素材へと昇格しています。
 

 
 これをつけ汁へ注げば、塩と地鶏と乾物と和山椒の世界が、最後にもう一段だけ丸く深くなるのです。最初はきりりとしていたつけ汁が、昆布の旨味によって角をほどき、和のスープとして完成していく。この変化がたまりません。まるで、よそゆきの顔をしていた人が、最後にだけ本音を見せてくれるような感じです。
 

 
 啜れば、じんわりと身体へ染みていきます。ラーメンの締めというより、小さな懐石の最後の一椀のようでもある。雪上がりの冷たい空気の記憶、有給休暇のゆるみ、赤星の苦み、砂肝の炭火、麺の甘み――その全部がここで一つにまとまっていく。ああ、今日はつけ麺を食べに来たのではなく、ひとつの流れを体験しに来たのだな、としみじみ思わされました。
 

 
 
 

総じまして・・・「繊細さと厚み!整いと滋味!その両立を尻上がりの旨さとして成立させた完成度の高い一杯!」

 
 この「昆布水つけ麺 塩」は、単に上品とか、単に素材が良いとか、そういう一言では片づけられない完成度です。黄金色に澄むつけ汁は、比内地鶏と乾物の旨みを上品に束ね、和山椒で輪郭を引き締める。そこへ、濃い昆布水をまとった細麺が絡み、食べ進めるほどに味の表情が変わっていく。しかも変わる方向が“雑になる”のではなく、“より豊かになる”のだから恐れ入ります。
 
 つまみの比内地鶏砂肝炭火焼きもまた、単独で一店張れるほどの出来栄えでしたし、赤星との組み合わせも盤石でした。つまり今日は、「昼飯がわりのつけ麺」と言いながら、実態としてはかなり贅沢な昼の小宴だったわけです。有給休暇の使い道として、これ以上に文化的で、これ以上に胃袋に誠実なものがあるでしょうか。たぶん、ないです。少なくとも私は、そう思いたいです。
 
 今回の一杯をひと言でまとめるなら、「静かに美しく、食べるほどに深くなる塩昆布水つけ麺」です。見た目は端正、味は構築的、余韻は豊潤。そして、最後の昆布水割りまで含めてきちんと物語になっている。麺屋さくら井の凄みは、派手さで驚かせるのではなく、節度の内側でこちらの感情をきっちり揺らしてくるところにあるのだと、改めて思い知らされました。激しくオススメ!旨し!なので・・・とっとと詠って、いつものように締めたいと思います!
 
 

 
 
 お粗末!と言うことで家族にも感謝しながら合掌!!今日も本当にごちそうさまでした!

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