ラーメン食べて詠います

ご訪問いただきありがとうございます。仕事の合間や、休日余暇を利用してラーメン探訪をつづけております。ラーメン食べて感じる、小さな喜びやストレス解放を、最後に詠って締めくくりますー。

「予算」って何なのさ・・・

 今も昔もいろいろな「予算」という得体の知れないものと、付き合う仕事をしていますが、最近こいつの正体がますます分からなくなってきたんです。「今年度の活動方針は、予算達成です。」って・・・・何かしら日本語としてもおかしいと思う・・・。予算を達成するために何をするのかが、活動方針であるはずがね・・・・。

 『予算って何だかしっているか?』

 ・・・昔の上司に唐突に酒場で問われたことがあります。そのときは若造のため、「株主への説明責任指標です」などと、これまたわけの分からんことを言ってたんです(六本木のあの飲み屋は、もう行けないだろうな・・・・酒が旨かったけど)。一言、「ア・ホ・・・・」と言われて苦い思いしました。そしたら、その上司は続けて・・・・

 『んなことはぁ簡単だ、予め計算するだけのことよ・・・』

 人をなめてるな・・・とそのとき正直むっとしました。で、もっと詳しいことを問いただせば、後は自分で考えろとのこと・・・。ドラマの話じゃないんだからしっかりしてくれよ・・・と、釈然としませんでしたね・・・・。30歳台前半の話ですが。




 そういえば、あの時は平社員か主任になりたてのころで、いろいろなインパクト計算をやらされたし、データ整理や自分なりの分析を求められた。最後に予算が確定してからでも、いろいろなインパクト計算をさせられて、それがほとんど使われることもなく、徒労で空しく思うことばかりでした。今、似たような立場に少し近づいてきて改めて思うのは、【計算量が落ちているな】ということかな・・・。予算必達に気をとられ、差異理由ばかりに気をとられている。差異やGAPリカバリーするのは、全て現場責任だもんな・・・。予算とは、状況変化やその予兆があったときに、仮定シュミレーションを何通りも予め計算して、対策検討すること。だったのかなと・・・・。予算とは、シュミレーションを幾通りも考えることだったのかもです。



 ところで今、大震災と復興の困難さ等により、未来の成長シナリオが描きづらいなか、大きく経済状況が変わっているので、改めて予算を考え直さねばならない時期に来ていると思います。しかし、現場にこれ以上負荷をかけたくない・・・・。とは言っても一度立てた予算は、何があっても、大地震であっても、一切見直しがあってはならないというのは、いけないなと思います。狭間に居て・・・・悩むのです。

 なぜこんな狭間に陥ったのか?ふと思うのは、コンセンサスが欠けているからではないでしょうか?。苦しいことでも、本当に意味あることは遣り通してきた営業現場の仲間たちを思えば、いまひとつちゃんと説得できたか? また上層に現場の思いを伝えきれたか?この紐つけが不十分だからじゃないだろうか?そういう意味では、予算とは、会社全体と各現場とのコンセンサスの具体化ともいえますね。


脱予算経営

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