ラーメン食べて詠います

ご訪問いただきありがとうございます。仕事の合間や、休日余暇を利用してラーメン探訪をつづけております。ラーメン食べて感じる、小さな喜びやストレス解放を、最後に詠って締めくくりますー。

「脳みそ」って何なの?馬鹿なの!?

最初に断っておきますが、最近読んだ本の受け売りです。

脳ってのは、それ自体、実は大変飽きっぽい性質を持っているのだそう。だから、常に刺激を求めるものなのだそうです。私が考えますに、記憶などは使わなかったら消えていくものですから、記憶に留めておきたいことは、繰り返すなり刺激を繰り返して、刻み込もうとします。つまり、刺激がないと拡大や成長がないものなのです。よって脳自体が機能維持を図ろうとするなら、常に何か刺激を求める性質でないといとけない・・・と解釈しています。




この刺激を求める性質が・・・・とても厄介なものらしいのです。

例えば、何か作業をしているとか、大切な人の話を聞いているとか、100%目の前のものに集中しなければならない時に限って、別のことを高速に考えていることありませんか?これは、目の前のものが、脳が脳なりに退屈に感じ始めているための機能なのだそうです。ま、面白いことが他にあれば、それはそれで仕方ないわな・・・・とも思いますが。




しかし、脳は、快楽的なもの以外に、苦痛的なものまでも同じ「刺激」というカテゴリーに入れて求めてしまうものらしいから、もっと厄介。

例えば、気にいらない、むかつく、苛立つ・・・・いろいろな苦痛あると思います。これを脳は単なる刺激の一種ととらえて、求めてしまうらしい。例えば、人間関係で気に入らないことがありと、考え始めるとドンドンと頭の中でエスカレートしていくことありませんか?次第に怒りが増大するだけなのですが、これは、脳自体が求めているから、そういう指向に走るということになります。




さらに悪いことに、以前の刺激では足らなく刺激のエスカレートを求める

脳は、どんな考えでも、考えの循環を機能として求めるものなのですから、ブラックな発想に火がつくとどえらいことに、頭の中が支配されます。このため、理性とか、道徳とか、教養など、善の今までのプラクティスが歯止めとなり、ブレーキがかかるのですが、最近こういう善のプラクティスを省いている世相ですから・・・・本当に参りますね。




自分に怒りが走ったとき、この怒りに身を任せていては、ドンドンと自分が怒りの人として人格形成されてしまう。そういう人間に幸福が訪れるはずがない。怒りが走ったら、走りそうになったら、【自分の脳が、怒りとしての刺激処理しようとしている。このまま放置でいいか?】と一歩下がった者の考え方をしないといけないと、考えはじめています。

こういう一歩下がった考え方、プロセスは、繰り返す程、脳に記憶として刻み込まれるので、次第と善のプロセスが引き出しやすくなるはず。そうやって、穏やかな人格形成を求めて生きたい。



☆脳のバカさ加減には、時間がかかろうとも、上手くつきあっていくしか手はないのですね。

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